死の選択の権利を。 #国は安楽死を認めてください ツイデモにて

ツイデモ #国は安楽死を認めて下さい について、個人の見解を記します。

【私見】デスハラという見込まれる問題についての私見

デスハラ(死の選択が自由になった場合、自由であることを利用した他者による強制的選択)問題について、私見を記す。

ツイデモは合意を形成する場所でもないし、議論を行う場所でもない。そもそもTwitterは議論に適した場所ではない。私見では、ツイデモで行えるのはあくまで問題提起と勢いの提供である。提起された問題という一枚の紙に、「付箋」を貼って反論意見を書くことはできるし、その「付箋」に更に「付箋」で再反論することもできるが(物理的にイメージするのは難しい)、反論のやり取りに適した場所ではない。

この付箋が貼られた紙は、本格的な「議論」を行うに適した場所に持っていかれ、紙や付箋の一枚一枚について多様な意見を持つ専門家がそれぞれについて検討し、議論を行い、法整備に向けて動き出すための材料となる。当然デスハラ問題もそこで論じられる。

その代表者やエネルギー源は、ツイデモの参加者数、勢い、トレンド入り等の「数の力」(つまり票の力)によって獲得される。

デスハラ問題は、今のところは「死の選択の権利」に貼られた付箋の一つ(重要な論点ではある)であり、議論に適した場所ではないTwitterで論じるべき問題ではないと考えられる。また、デスハラ問題によってツイデモを封殺することはできない。死の選択の権利そのものは必要であり、デスハラ問題によって議論の末に最終的に実現不可能となったとしても、それは議論段階で行われるべきであって、ツイデモ段階での封殺原因にはなり得ない。