死の選択の権利を。 #国は安楽死を認めてください ツイデモにて

ツイデモ #国は安楽死を認めて下さい について、個人の見解を記します。

万人に使えるものでなければならない、という前提を忘れがち

死の選択の権利、健康な人間に対してのみ考えれば火山口に飛び込めばいいとなる。ただ、死の選択の権利は、例えば病院のベッドで寝たきりで、治療法はあるし死ぬことは考えないでいい、というケースの人が、治療に伴う身体的苦痛や家族の負担や金銭的負担と、治療によって得られる余命の質と量(期間)を考えた上での死の選択にも応えられなければならない種類のものであり、そう考えると火山口では不足であると言える。

我々は忘れやすいが、死の選択の権利は、我々と異なる属性の人間にとっても存在しなければならない。両方の選択肢が、可能な限り、常に提示され続けなければならない。

我々一人一人は忘れやすいし、他人のことを気にかける余裕がなくても、運動の理念としては出来る限り全ての人に可能な限り両方の選択肢を与えなければならない、ということは意識されなければならない。

ただ、常に意識する必要はなくて、方法などについて考える時に何度かチェックする必要がある、程度のものであるとは思う。