死の選択の権利を。 #国は安楽死を認めてください ツイデモにて

ツイデモ #国は安楽死を認めて下さい について、個人の見解を記します。

生きるのに適していない人に与えられるべき選択

生きるのに適していない、何らかの障害があったり病気だったり内面の苦痛だったりする人にとって、生存は苦痛でしかなく、苦痛を労力で購入しているという状態になる。

内面の苦痛を含むため事前の審査は不要であり、自己申告で死の選択の権利が与えられるべきである。

意志を確認することなく生存を強制する今のやり方より、よほど人道的、人権的ではなかろうか。

 

脱医療化 / 臓器全提供 どちらのアプローチが適切か

 サルコの目指す死の選択の脱医療化アプローチ、病院に併設された臓器摘出施設による安楽死、どちらのアプローチが正しいか、という問いがある。

 現段階では「臓器摘出施設のアプローチのほうがやや正しい」、つまり脱医療化アプローチの選択肢を排除しない方向で話をするのが良いかと思われる。

 選択肢は一つであるべきではない。一つの方法しか持たないなら、それが頓挫した場合には大打撃を受ける。代替方法があれば、打撃は比較的少なくて済む。

 個人的には、現状のサルコのあり方は価格や一部部品の再利用について問題があるし、備え付け型の再利用型が現実的とは思えるが、それよりは臓器摘出施設による安楽死が望ましいと思われる。

 ただ、脱医療化アプローチを明確に捨てるのは間違いである。

希望する生存者からの臓器提供、という安楽死の形は検討されるべきではないか?

 現在の医療倫理においてはこの考え方は忌避されているようである。しかし、この考え方を採用すれば、死にたい人間の欲求と生きたい人間の欲求が合致し、幸福な結果が得られるのも事実である。

 サルコは死の選択の権利における非医療化を目的として設計された。それも一つのアプローチであるが、死を希望する人間の利用できる臓器を血液までも全て利用し、生きたい人間の役に立てるアプローチも有効ではないだろうか。

 これについては私は知識を持っていない。

 ただ、ヒポクラテスの誓いやジュネーブ宣言がこの局面では役に立たないであろうとは思う。

 

【私見】ツイデモの意義

ツイデモ、つまりTwitter上で行われる、ハッシュタグを用いた、時間を決めて行われる集中投稿について。

ハッシュタグ文字列と開催時間を適切に設定すれば、ほぼ無管理で進行するこの行為は、直接的には社会的にあまり意味を持たない。実効力を持たないからである。

では何が出来るか。問題提起、問題の周知、人が多いことの提示、この程度である。

この文字列について商品化されたグッズがあるのなら、それは喜ばしいことである。問題の周知に役立つからである。収益の一部が支援団体に寄付されることが望ましい。

 

ツイデモはあくまでも実効力をもたないデモであるが、それにより代議士等の法律家が自発的に動くことが期待されている。

メールやリプライでの各政党・各議員への陳情はほとんど意味をなさないように思う。特に毎週の連絡は無意味のように思う。彼らは目を通す暇がないのではないか。

 

あくまでツイデモは政府、代議士が動くためのきっかけであり、立法府等で議論される時の参考意見集である。

 

ツイデモ(問題提起)→代議士(議論)→国会(議論、法的手続き)→法制化

※理想的に進んだ場合

 

この運動は特にそうなのだが、ある程度集まったツイデモにおいて、司令塔はあってはならない。運動において、偽のスキャンダルをでっちあげて潰すターゲットがあってはならない。全体の外部からのイメージが悪化する。司令塔がある場合のメリットはあるものの、デメリットが上回る。

(司令塔=委員会、連絡会など、主導的役割となる「と思われる」もの全て)

 

 

【私見】デスハラという見込まれる問題についての私見

デスハラ(死の選択が自由になった場合、自由であることを利用した他者による強制的選択)問題について、私見を記す。

ツイデモは合意を形成する場所でもないし、議論を行う場所でもない。そもそもTwitterは議論に適した場所ではない。私見では、ツイデモで行えるのはあくまで問題提起と勢いの提供である。提起された問題という一枚の紙に、「付箋」を貼って反論意見を書くことはできるし、その「付箋」に更に「付箋」で再反論することもできるが(物理的にイメージするのは難しい)、反論のやり取りに適した場所ではない。

この付箋が貼られた紙は、本格的な「議論」を行うに適した場所に持っていかれ、紙や付箋の一枚一枚について多様な意見を持つ専門家がそれぞれについて検討し、議論を行い、法整備に向けて動き出すための材料となる。当然デスハラ問題もそこで論じられる。

その代表者やエネルギー源は、ツイデモの参加者数、勢い、トレンド入り等の「数の力」(つまり票の力)によって獲得される。

デスハラ問題は、今のところは「死の選択の権利」に貼られた付箋の一つ(重要な論点ではある)であり、議論に適した場所ではないTwitterで論じるべき問題ではないと考えられる。また、デスハラ問題によってツイデモを封殺することはできない。死の選択の権利そのものは必要であり、デスハラ問題によって議論の末に最終的に実現不可能となったとしても、それは議論段階で行われるべきであって、ツイデモ段階での封殺原因にはなり得ない。

 

 

 

危惧するべきものたち:宗教、思想、情報売り

 『安楽死』ツイデモが広まるにつれて、反対派が多く参加してくれるようになった。これ自体は嬉しいことである。反対派は感情的であれど意見をくれる。最悪でも無害であり、理知的に話が出来る反対派は自説の弱点を突いてくれるのでとてもありがたい存在である。

 反対派のような、あるいは賛同したような顔をして近づいてくる有害な存在が存在する。すなわち、宗教思想情報売りの三種類である。あるいはこれに「どしたん君」が加わる場合がある。「どしたん君」についてはデータが少ないためこれ以上は述べない。

 彼らの目的はツイデモやツイデモへの意見ではなく、ツイデモの参加者である。参加者を自らの宗教、思想に引き込むか、情報商材を購入させることが目的である。彼らにとって、ツイデモやその成否などはどうでもいい

 『個人的に話を聞こう』や『DMで相談を』は最大限に警戒しなければならない。DM相談については発言者を即時ブロックすることが望ましい。これらのフレーズはツイデモではなくツイデモの参加者をターゲットにした言動だからである。DM相談を警戒するのは、やましいことがなければDMではなくツイートで相談出来るはずだからである。

 宗教と思想は構成人員を、情報売りは金銭を目的にした存在である。多少やり口は異なるものの、手口はそれほど変わらない。個人をデモから切り離して、対話し、丸め込み、自らの目的に供する。彼らは丸め込みの強力なノウハウを持っており、対処法を知らないツイデモ参加者は格好の餌にしかならない。

 ではどうすればよいか。一対一の状況にならないこと、つまりDMに応対しないこと、レスバに応じないこと。また、そういう存在だと気づいた段階でブロックすること、もしくは放置すること。これが万全とは言い難いが、ある程度被害を抑えることは出来るだろう。

 ツイデモ下で、本気で個人に説得を試みる人間がいる可能性はある。しかしそれは宗教、思想、情報売りとの区別が難しく、相手にするべきではない。即時ブロックするのが望ましい。

 

2023/02/25追記:「商材語辞典」というものを発見しました。リンク張っておきますね。

https://www.workaholic-blog.com/dic/

 

十分に浸透したツイデモにおいて管理は必要なのか?

 某氏は『 #国は安楽死を認めて下さい 』ツイデモにおいて管理や連絡を行う何らかの組織を立ち上げるつもりらしい。

 その組織は以下の行動をするようである。

  ・ツイデモの予告、拡散
  ・STARTのツイート
  ・締めのツイート
  ・結果を関係個所へ送信(トレンド入り時)

 個人的には現段階の本ツイデモにおいて『管理や連絡』が必要とは思えないし、予告拡散、締め、結果送信も必要ないと思う。

 開始ツイートすら、時間が確定した現段階においては不必要に思える。

 ちなみに、上記3項目はツイデモが定着するまでは必要であることは確かである。それはツイデモが浸透し成立するまでの段階に必要なだけであり、現段階では不必要に思える。

 結果送信については、私は懐疑的である。デモそのものの勢いによって何らかの法律家の自発的協力を得るほうが得策である、と思うからだ。なにかの送信に威力があるとはあまり思えない。ないよりはましかもしれないが。

 問題は、その『何らかの組織』がツイデモの代表として捉えられ、偽のスキャンダルによって攻撃された場合、ツイデモ自体がダメージを受ける・イメージが悪化することである。

 司令塔が存在しないのは、弱みでもあるが、強みでもある。